前回のブログの続きです。
操体法と同時に、私が深く感動した整体哲学があります。
それは野口整体の創始者、野口晴哉氏の著書に見る整体への考え方です。
出会いは「風邪の効用」という1冊の本でした。
私たちは風邪をひくと「仕事に支障が出る」とか「子どもにうつるのじゃないかしら」とか、とにもかくにも風邪を敵視しがちです。
また、大事な日に風邪をひくと「体調管理がなってない」などど自分を責めたり、咳止めを飲む、または解熱剤を使うなどとして、どうにか凌ごうとする人も多いです。
実際、風邪薬があんなに多種多様に売られているのは日本ぐらいだと聞きます。また、冬になると大人はもちろん、まだまだ小さな乳幼児までマスクを装着する姿が見られるようになってきました。
みんな、風邪をひくのをとても恐れているのですね。
でも、考えてみて下さい。
手洗い、うがい、いくらマスクを装着したところで、風邪になる時はなりますよね。
「あんなに予防したのに、どうして…」と悔しい思いをしたことがあるのは、私だけではないはずです。
つまり、風邪は予防したところで、なる時はなるのです、
それは何故でしょうか?
答えは、簡単です。
体が必要としたから、風邪をひいたのです。
この「風邪の効用」の中では、風邪は体の偏り疲労(偏って使っている所はもちろん、気のつかえている所や体本来の弾力を失ってしまっている所)を正すためのものだと言っています。
偏り疲労を整える為に、必要があって熱を出したり喉を腫れさせたりしている。
この時期に上手に体の求めるまま休息をとり、回復できた時は、風邪をひく前よりも体は整い、健康になっているのです。
だから、風邪は焦って治すものではなく、経過するものなのです。
この考えを知った時、私は肩の荷がおりた気がしました。
今まで無闇に風邪を恐れていたけれど、体が必要で風邪になるんなら、それは仕方ないことだよなあと。
上手に経過して、前より健康になれるなら、むしろ絶好のチャンスだよなあとも思うようになりました。
ちなみに体の偏り疲労が蓄積してるか判断する簡単な方法があります。
それは左右の脇で体温を計ってみることです。
そもそも、左右で体温は微妙に異なっているのですが、偏り疲労が蓄積すると体温の左右差は大きくなります。
5分以上ずれていたら、偏り疲労の黄色信号(風邪をひく一歩手前)かな、と個人的には思ってます。
この「風邪の効用」を含め、野口氏の体に対する哲学(活元運動、体癖、愉気、潜在意識教育)は頭で全てを理解できないのだけど、体の内側が「正しい」と肯定せざるをえないものでした。
そして、この体の内側が「正しい」と感じられることってとても大切です。
現代はとても便利で、頭で判断して意思でなんとかできることが多い反面、そうではないことに関して(風邪をひくこと含め)私たちは恐怖をおぼえるようになっています。
病気になること、体が痛むことは、表面的に見れば確かに怖いことでしょう。
その恐怖のおかげで病院はどこも混雑、型にはまった施術しか行えない治療院に何度も通っている患者さんのいかに多いことかは、周知の事実です。
でも、その恐怖の少し先を覗いてみたい。
そこには、自分の体を軸とした、自分の体の内側と向き合う対話が待っているからです。
その対話は、病気、体の痛み、死への恐怖との直接の対峙である分、それらへの恐怖は減る、という不思議な道筋をたどります。
整体の模索は、操体法・野口整体という偉大な先人の思想を入口に、自分の人生の揺るがない芯の部分になると、この頃から思い始めました。
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