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夏休みの宿題

営業自粛前にご予約を頂いていたお客さまへ施術をしつつも、新型コロナウィルスのおかげ様で、最近の生活は夏休みのようである。

 

保育園が休みになった息子は毎日家にいるため、日光浴もかねて庭遊び、庭いじりをよくしている。

 

土に近い虫(アリやダンゴムシなど)とも自然と触れ合うことになる。

 

私と息子はオリーブの葉にくっついていたカタツムリを家に迎え、ツムリ先生と呼んでは毎日観察している。

 

そういえば今年の抱負は土を感じることだった。

過去ブログ→『2020年は土を感じていきたいなぁ』

思いがけない形で、実践できてしまっている次第である。

 

 

さて、私は小中学生の頃は優等生で、夏休みの宿題は早々に終わらせる方だったと思う。

のんびり屋の主人公の漫画にでてくるような、夏休みの最後に「宿題が終わらないよう」と泣くようなことは一切無かった。

 

ところが、最近、ある課題を見送っている。

 

それは、遠隔で行う整体の施術である。

 

 

はあ?遠隔で施術するってどういうこと?!

 

と思われる方がほとんどだろう。私も怪しすぎて怖くて、だから少し敬遠している。

 

 

実はこの話は、愉和法の師匠である清水先生が3月初旬にはおっしゃっていたことだった。

 

対面で施術するのと同等とはいかないまでも、離れたところから頭でイメージして施術するだけでも、受け手の身体に何かしら変化は起きる、とのことだった。

 

またまた~、ぶっ飛んだことおっしゃってますが、あたしゃそんなこたあ信じられないよ、と思っていたのである。

 

 

ところが、新型コロナウィルスが都内を中心に猛威を奮い、外出自粛が余儀なくされ4月頃からであろうか。

 

愉和法のように身体にほとんど圧を加えることなく、繊細に変化させる別の手法をしているボディワークの方のブログを読んでいたら、やはりそこにも遠隔施術を試みている旨が書いてあった。

 

オステオパシーの中のバイオダイナミクスという考え方で施術を行っている方で、コロナの影響で、対面の施術の自粛に追い込まれてしまった。

 

そこから遠隔セッションを試しに行ってみて、ほとんど対面と同じように施術することに成功した(受け手も同じように身体の変化が感じられた)、ということだった。

 

最初は信じられない気持ちでいっぱいだったそうだが、何人か試してみて同じように効果があったので、信じるも信じないも、できてしまう現実がある、という感じである。

 

そして、施術や現実への意識、世界が大幅に変化した、とのことだった。

 

 

そうかあ~、そうなのかなあ。でもやっぱり信じがたいぞ…

 

と敬遠しつつ、同じキーワードが何度も出てくる時は、それについて頭をつっこんでみなさい、というメッセージだと思っている私は、少しだけ試してみた。

 

 

離れたところから息子をイメージしてみて、施術する時と同じように身体の流れを読んでみる。

(施術の際は身体の流れを読んで、最初に触れる場所を決めています。手や足の指先、頭や顔の一部など、人によってその場所は異なります。)

 

イメージで読み取った身体の流れを、実際の息子の身体で答え合わせしてみる。

 

怖いことに、本当に怖いことに、これがほとんど合っているのである。

 

対面の施術の際は、手足の指の関節何番、というところまで見極めるのだが、さすがにそこまでできなくても、訓練次第ではできてしまう感じはある。

 

 

別の日に夫に事情を話して、実験に協力してもらうことにした。

 

「何それ。またなんか人間から離れるようなことをやりだして…」

というようなことを言われ、困惑されつつも、静かに横になってもらって、身体の変化を感じてもらう。

 

私は別の部屋から、夫の姿をイメージして身体の流れを読み、施術する。

 

いつものように、施術が通る手ごたえを何回か感じたので、夫の寝ている部屋に戻って、感想を聞いてみた。

 

目を合わせた夫は、先ほどよりも更に困惑した顔をして

「いつもの施術を受けているような肩から腕があったかくなる感じがしたり、指が勝手に動いた…あとは足首が金縛りにあったみたいに動かなくなったかと思うと、ふっとほどけたり…」と言った。

 

ああ、そうなのか…

と怖さと驚きと、どこかひやーっと冷たくなる部分を私の中に感じた。

 

 

遠隔治療、遠隔施術、これはできてしまう人には、ずうっと前から当たり前にできてしまうことなのだろう。

 

非科学的であろうと、非現実的であろうと、できてしまう人にとっては当たり前すぎて、他の人には何故できないのかわからないくらいではないだろうか。

 

可視化できていないだけ、証明するだけの科学が追い付いていないだけで、できてしまう現実は揺るぎなくそこにある。

 

 

しかし、証明されていないからこそ、安易に効果を保証したり、成熟していないのにも関わらず、多くの人に身の程以上のことを吹聴して、技を振り回したりするのは違うと思う。

 

見えていない世界なだけに、その世界に反したことをやれば、何が返ってくるのか計り知れない。

 

今回、私はその世界の端っこに触れてしまった訳だが、やはり安易にやってみようという気にはなかなかなれない。

 

遠隔施術への気持ちの熱量が圧倒的に足りないことと、タイミングも自分の内面も熟していない、と思うからだ。

 

これは、今回のコロナ騒動によって得た、夏休みの宿題だ。

 

このまま宿題に取り組まず夏休みを終えるのかもしれないし、ある日、怖々とパンドラの匣を開けるような日が来るのかもしれない。