今年の1月に、愉和のセミナーで同期だったKさんから、心のこもったお手紙を頂いていた。
お手紙の最後に
「P.S アニータ・ムアジャーニさんの2冊の本が、私にはとても助けになっています。」
と書いてあった。
そのことをふと思い出し、その内の1冊である『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』を読んでみた。
この本は、1人の女性が外的環境と自分の中での葛藤に悩み、癌に罹り、臨死体験を経験したのち、ありのままの自分を尊重できるようになった半生を記したものだ。
実際に起きたこととして、彼女が臨死体験後に、末期癌から生還するという類まれなる出来事がある。
でも、この本に書かれている本質は、そこではない。
恐れや自己否定、自己犠牲がいかに自分の心身を蝕むか、ただ自分というものが存在していること、それがいかに尊いかを気付いてほしい、という彼女からのメッセージを伝えることが、この本のねらいである。
正直、この本を読むまで、私はぼんやりとした不安や恐れでいっぱいだった。
そんなにお金があるわけでもないし、人より秀でていると感じられることも無いし、子どもはまだ小さいけど、私もいつか病気になるかもしれないし、老後はどうなっちゃうんだろう…
不安を直視したら、暗くなってしまうので、あまり考えないようにするということでなんとか自分を保っていた。
はっきり言って、保険に入ることや、健康の為に安全な食品を選ぶことなども恐れからの強迫観念によって行っていた。
そして、このコロナ禍である。
私は割とインドアで自己完結型なので、外に出ないことがそこまでストレスにならないけれど、多くの人が閉塞感を抱えている苦しさが空気に混ざっているのは、肌でひしひしと感じている。
TVをつければ、今日の感染者は何人、コロナによって職を追われた人、経済的に困窮していることを切々と訴える人、そしてとどめかのような、自殺者のニュース。
どうして、こんなに人が苦しんでいるのだろう、と、胸がつまる思いであった。
そして多分、それは皆が感じていることなのだろう。
なんで、こんなに苦しいのだろう。
なんで、こんな形で死を選んでしまったのだろう。
(犯罪のニュースを見て)なんで、こんなひどいこと(人や物を傷つける、命や尊厳を奪う)をこの人はしてしまったのだろう。
それは、掘り下げれば、コロナ禍を含めた外的要因のせいではない。
恐れや自己否定など、自分がそのままで素晴らしいと認められない内的要因から来ているのである。
それは、私も、犯罪を犯した人も変わらない。
上記の本の著書、アニータさんも、もともと恐れや自己否定が強い人生を歩んでいた。
心身を病み限界を迎えた時に起こった臨死体験の際に、時間軸は無く、自他が融合して、全てが共感覚で認知できるようなこの世の常識を超越することを見聞きしてきた。
そして、魂はみな完璧であり、私たちはみな繋がっていると確信して、また肉体のある生活を選んで、この世に戻ってきた。
死ぬことは怖くない、宗教で教えられているような死後の裁きに合うことなどない、手放すことも、許すべきものも、達成すべきものもない、彼らもあなたも、もう到達していて、すでに完璧なのです。
そう何度も本で語ってくれている。
私たちは「何かをしなくちゃ」「何かを手にいれなければ」「常に前進、成長していなければ」、自分を認めてあげるのが難しいと思い込んでいる人が多い気がする。
ただ今を生きる、肉体を持ってできることをやりたいようにやる、それだけでパーフェクトだと思えれば、自分に、他人にもっとやさしくできるのではないだろうか。
人生とは、何かを得て、徐々に失っていき、何も無くなった時でさえも自分が尊い存在だと思える地点に至る助走期間のようなものだと思う。
肩の力を抜いて、自分の魂が素直に喜ぶことから、やっていこう。
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