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いのちに責任を持つ

 

『生くる者は生くる也 死ぬ者は死ぬ也』

という序文から始まる本がある。

 

野口晴哉氏の著書『治療の書』である。

 

この上の文章を見て、どう感じるだろうか?

 

至極当然、と思うだろうか。

それとも、どこか冷淡な印象を受けるだろうか。

 

 

2020年コロナ禍、そしてその報道やそれに対する人の反応において、ずっと喉の奥がつまったような違和感をおぼえていた。

 

毎日のように感染者、死者、医療のひっ迫の情報が垂れ流されている。

 

三密は避けましょう、人と距離をとってマスクをしましょう、という毎日の刷り込み。

そしてとうとう、家庭内でもマスクを着用して下さい、など、現実から乖離しているようなことも言われている。

 

そして、特効薬の治験や、早くワクチンができれば…など、医療技術に期待する声も上がっている。

 

 

 

でもこれって何かズレている気がする、もっと大事なことを置いてきている気がする…というのが私の感じている違和感の正体だった。

 

 

 

そこで、なんとなく、上記の『治療の書』を開いてみた。

 

この本は野口整体の創始者・野口晴哉氏が、自分が治療しているとそれに依存して人が弱くなってしまうが為に、30年続けた治療を捨てた時に纏められたものである。

 

今回のコロナの件で不安に思っていたり、漠然とした焦燥感に駆られている方にとっても、ハッとするフレーズが沢山あると思う。

 

試しに、いくつか抜粋する。

 

 

・病気の怖ろしく無きを見つけんとして病気の怖ろしさに縛らるゝ也。

 

 薬を見つけてそれを呑まざれば治らずと思ひ込む也。

 

 

・風邪で死ぬ体あり、肺炎すらもすらすら経過する体あり。

 

 風邪軽きに非ず 肺炎重きに非ず 体の問題也。

 

 

・多くの人 毎日死につゝあることを忘れ 人の死ぬものなること忘れ、死に近づきて憶ひ出し慌てる也。

 

 

・死を告げて生きてゐるうちから何回も死なしめ、死ぬ前に殺して息だけさせてゐる人もあれど、之間違ひ也。

 

 用心の為殺すことしばしばあり、されど生くること用心より大切也。

 

 

抜粋したところ以外でも、目が覚めるような気持ちになったり、地に足がつくような心持ちになったりする文章ばかりである。

 

 

そこで、抱えていた違和感をもっと静かに見つめてみると、次々と疑問が浮かんできた。

 

私たちは今、自分の命に対して、誰かに依存的になっていないだろうか?

 

新型コロナ感染者が増えている怒りを、国や自治体及びその医療設備に向ける意見も出ているが、そもそも自分の健康は誰かに守ってもらうものだったろうか?

 

ワクチンや特効薬が無ければ、病気に対して無力であり、その恐怖をぬぐう為に莫大なコストをかけ続けなければならないのか?

 

私たちの心身の健康は、誰のもの?

 

 

ここが抜けているから、ずっと不安がつきまとっているのだ。

 

ここで、ふっと、今流行りの『鬼滅の刃』から、1巻の冨岡義勇の台詞を思い出した。

 

 

 

 

この台詞は主人公炭治郎に向けられているものだが、私はこれを読んで、自分のどこかがハッとしたような気持ちになった。

 

そう、私たちは、徐々に、緩やかに、自分の生殺の権利を人に委ねてきてしまっていた。

 

病気になったら病院に行くもの、薬を飲むもの、誰かに頼るもの‥

 

特にご高齢の方だと、ご本人もよく理解していないまま沢山の薬を飲み続けているケースもある。

 

 

自分の体調に日々お伺いをたてることや、本当は自分の心身が何を欲しているのかをよく知ろうとすることが、自分のいのちと話すことだ。

 

それは本人しか分からない。

 

きちんと意識して自分とつながっていないと、本人すら分からないこともある。

 

 

でも、このいのちとの対話を怠けてはいけないのだ。

 

健やかな時も病気になった時も死ぬ間際でも、いのちはどんな時も懸命にその火を燃やしている。

 

その声に耳を傾けること、それが自分のいのちに責任を持つことであり、病気や死に対しての恐怖に打ち勝つ地道な方法だと思っている。

 

 

 

 

2020年も沢山のお客様のお身体に学ばせて頂いた1年でした。

 

ご来店頂いた全てのお客様に感謝申し上げます。

ありがとうございます。

 

新しい年がどうか皆様にとって、良い年でありますように。

 

私も、もっともっと進化していこうと思っています。