普段の生活で人口香料を避けるようになってしばらく経つが、においやそれにまつわるものに、とても敏感になったように思う。
においは鼻の上部にある嗅上皮、その上にある約4000万個の嗅細胞によって感知される。
嗅上皮は生涯ターンオーバーを続ける為、視覚や聴力が老化によって衰えることがあるのに対し、経年で劣化することはない。
生き物や人、見えぬ何がしかの気配をにおいで感知する人がいる。
漫画『鬼滅の刃』の炭治郎が正にそれだが、漫画の話でなく、嗅覚に優れた人ではあり得る話である。
最近は体癖のことばかり学んでいるので、体癖の話も差し込むと、9種の人は嗅覚に優れている人が多いそうだ。
9種は骨盤型・生殖器型・本能型である。
見えるものの裏を感じようとする人、考えるよりも感じるもの(直感)に信頼を置くのは9種の感覚だろう。
私は9種メインの体癖ではないが、10代の頃、クセの強い人とお付き合いしていた頃、その人が私宛にメールや電話をしてくる直前に、においがしてくることがあった。
花のような良い香りではなく、昔飼っていたウサギのような、獣?肉?のようなにおいだった。
外環境からにおいが漂ってくるわけでなく、鼻腔で自然発生するにおいをたまたま捉えてしまう、という感じに近い。
そのような経験は後にも先にも無いので、当人同士の共鳴による特殊なケースだったのかもしれないが、人の思念がにおいになることがあるのだなぁと思った。
人の思念は強すぎると感知できることがあるというのも面白い。
『源氏物語』の六条御息所が抑圧した嫉妬心のあまり生霊となり、光源氏に関わる女性を苦しめる描写があるが、古でも現在でもそういうことはあるのかもしれない、と思わずにはいられなかった。
嗅覚に話を戻して…動物を嗅覚動物と視覚動物に分けることがある。
例えば魚類であれば、水の透明度が高い場所に住んでいるものは視覚に優れ、濁った水に住むものは嗅覚に優れている。
現代の人間はどうだろうか。
生活のことを考えると、スマホやTVなど視覚情報がかなり多いだろう。
VR技術も進んでいて、ゴーグルをして仮想現実を楽しんでいる様子は、昔に夢見たようなテクノロジーが発達した証ではあるものの、外から見るとなんとなく滑稽だ。
本能(生き物)を離れ、AI(人工)に近づいているような、作り出したテクノロジーに自ら溺れているような、主客転倒しているような居心地悪さを私は感じてしまう。
日常生活では視覚過剰ともいえる中で、それでも嗅覚の敏感さが求められることもある。
それは生死に関係することだ。
わかりやすい例を挙げるなら、空腹時に冷蔵庫を開け、賞味期限が切れた食べ物があった時に、多くの人はにおいを嗅いで、食べられるか否かの判断をすると思う。
腐ったもの、毒になるものか否かを、目ではなく、においで判断している。
また、生に関わることだと、身体のにおいが好ましく感じる異性とは子孫を残すことに向いている。
付き合っている人の体臭が良いにおいだと感じるのは、においに含まれているHLA(白血球の型)が自分とは異なる、離れていることを意味しており、遺伝子や免疫機構の異なる相手を選ぶことは、より強い子孫を残す為には良い選択である。
↑↑ 思春期の女の子が父親を「クサイ」というのは遺伝子的にやむなし…泣
死に関することで言えば、死臭という言葉があるように、その臭いへの本能的拒否感がそこにはある。
病院のにおいが苦手という人も、なにか生死に関するものを知覚しているのかもしれない。
人工香料の入った洗剤や柔軟剤がもてはやされ、その後、化学物質過敏症の方や香害という言葉を多く見るようになった。
それはもしかしたら、生き物としてのSOS、本能的部分を失いたくない人間の種としての危機回避の声なのかもしれない。
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